映画『ONODA』奇跡的な二度目の発見で永遠となる小野田氏

小野田少年の家庭や軍人教室での出来事が、彼の視線で語られていくことから物語は始まる。
繰返し映し出される少年の顔のアップが、観客に彼との一体化を促していく。その私小説的な語り口に少し戸惑いを感じた。
どんな形であれ、戦争は悲惨なことであり巻き込まれたくない。誰にだってこのような思いがあるはずだ。

ところがこの映画には、戦争映画では定番の壮絶な戦闘に巻き込まれたり、見えぬ敵に対して一致団結して戦う仲間との友情を語るシーンはない。

処理という任務

映画『ONODA』の小野田氏の任務

この映画にある戦争とは、すべてが処理と言えるものばかりだ。

小野田氏の任務は今後の戦略のための事前調査だが、映画で映し出される主なそれは、ジャングルにある山や谷に日本風の名前をつけて地図に記録していくことだ。
軍にとっては作戦を立てるという未来を見据えたこの行動は、小野田氏とっては未知を既知にする事務処理的な任務と言い換えられる。

島に上陸した小野田氏は伝染病に臥している仲間に爆弾を手渡す。これは最も辛い処理の行為と言えるだろう。感情的になったら出来ない決断である。
任務遂行の邪魔になる事柄には手を煩わせる暇などないのだ。
もっとも、この決断を下した氏自身が、この後、壮絶な処理時間に耐えていくことになるのだが。

生き延びるために欠かせない処理

映画『ONODA』で繰り返させる行為としての水路作り

映画では、家が雨で浸水しないように水路を掘るシーンが何度も繰り返される。
場所を変えても、時を経ても、常にスコールは降ってくる。小野田氏と仲間は鋭い雨に打たれながらも、竹やりの切っ先のようなもので必死になって土に溝を掘る。

生きていくためには、雨水を流さなけれならない。水をそのままにしていれば、自分たちが生きていけない。水路をつくることは、たまった水の処理行為である。

小野田氏はジャングルで生きてきた間ずっと、この行動を続けてきたのだろう。その30年を思うと、何度も繰り返されるこのシーンこそ、映画『ONODA』そのものと思えてくる。

軍人にあらぬ風貌と言葉

映画『ONODA』でイッセー尾形が演じる谷口上官

一人舞台の役者として様々な人物を演じてきたイッセー尾形氏が上官役なのは興味深い。その風貌からしてどこか飄々とした雰囲気を持つ氏は、厳格な軍人とはどこか相容れない。

勝つためだけに命をささげるという裏表のなさを持っているのが軍人のはず。それなのに、上官の谷口にはどこかミステリアスな暗さがある。

不安を呼ぶ不気味さ

それは例えば、少年たちの酒盛りに突如現れた上官は、その輪に入ることもなく、叱責することもない。
どちらの態度も示そうとせず、無表情さと低い声でゆっくりとした物言いは、観客までをも不安な気持ちにさせる。

この暗さどこからくるのか。
それはおそらく、国のために命をささげるというお題目とは真逆な、どこまでも生き抜けという上官個人の本音がそうささせていたのだろう。

心が本音を叫ぶ

旅立っていく少年たちとの別れ際、谷口上官は彼らに言葉を贈る。
しかし、その内容よりも口調の激しさが印象に残る。胸の奥に隠していた本音を最後に吐き出した、まさに叫びそのものだからだ。

谷口はその後、小さな町で古本屋を営む。彼は軍に関しては、もう過ぎたことだと口を開かない。
それでありながら、棚に並んでいるのが歴史に関する本ばかりなのは、いかにも皮肉である。

私小説から記録へ

映画『ONODA』、私小説から記録へと代わる

小野田氏の視線から見た私小説風であった物語が、仲間が4人になる頃から変化しはじめ、記録という側面が前面に出てくる。地図に書き込まれる地名や、毎日の行動を綴った日記がそれだ。

日記とは当人の心のうちを書き記すものだが、この日記にはそれがない。感情がないのだ。

感情を欠いた生きものの記録

この人間的な欠落は、仲間の死や原住民の作物の奪取などにも通ずる。そうでなければ軍人としての任務を遂行できなかったのだろう。

生まれたばかりの人間が成人し、新たな生命を宿すまでに至るだけの十分な年月、30年という時の流れに飲み込まれなかったのは、感情がなかったからだ。
もし、感情を持ち合わせていたのなら、感情に負けてしまって生きていることに耐えられなかったかもしれない。

唯一、画面に映った感情

映画『ONODA』に見られた嫉妬と言う感情

そんななか、ある感情を抱いたのではないかと想像させるシーンがある。
小野田氏ではないが、負傷した仲間に駆け寄って介抱するもう一人の仲間を、寝たままの姿勢で背中越しに遠く見つめる男の視線に感じられる。

弱った体を労わるようになでる腕の動きは、視線を送る男が自らの股間へ腕を伸ばす動きに引き継がれ、カメラもゆっくりと男の顔から胴体へと横移動していく。

そもそも戦場という修羅場で同性愛が成立したのかどうか、また小野田氏の仲間のあいだでそれがあったのかどうかは分からない。
だがこのシーンには、明らかに嫉妬という感情が読み取れる。
そしてこの嫉妬は、性的な描写一歩手前までを、カメラの移動によって姿を現している。

感情描写の意図はあったのか?

この介抱シーンに、人間的な感情を加えて見せようとする意図が監督にあったのだろうか?
ほんの数秒しかないが、演出がなければ丸ごと削除されても物語全体としては問題なかったと言える。それだけに、気になるシーンだった。
ここでされるのも、自身によるやはり処理でしかない。

一徹さという国民的性格

映画『ONODA』の小野田氏の性格と国民性

小野田氏は、捜索隊が置いていったラジオや雑誌新聞などで同時代の日本の様子を手にしていたようだ。これは知らなかった事実で、少なからず驚いた。

それでありながら、彼はこれらから得た情報を裏読みして、日本軍の勝利を疑わなかった。ここには軍人の意識と、谷口上官の言葉が重なって見える。

自身の理想のためには、他をねじ曲げてでも実現させる。
この一方的な思想の持ち方は、後のあさま山荘事件にも通じているように感じられる。
一徹さという日本人の特徴が、ともすれば悪い方向に働くとこうなってしまうという、究極の恐ろしさがある。

アルチュール・アラリ監督は、フランスでのインタビューで小野田氏の映画を撮ることができる日本人は、若松孝二監督だけだと語っている。
言うまでもないが、あさま山荘事件は若松監督によって映画化されている。

映画製作の経緯

映画『ONODA』の製作背景

もともとは冒険映画を製作するつもりでいたらしいが、そんなときに小野田氏について書かれた本を読んだと監督は言う。それが、『Onoda, trente ans seul en guerre(小野田――その孤独な30年戦争)』だ。この本が原作となって映画は制作された。

著者のベルナール・サンドロン氏は元ジャーナリストで、小野田氏が帰国したときにこの本を記した。
サンドロン氏はその後、ファッション関係の仕事に進み、いまはカルティエやディオールなどフランスの一流ブランドを日本に紹介する会社の社長を務めている。業界では有名な人物のようだ。

小野田氏が自らの体験を記した本はフランス語にも訳されているが、発売されたのは2020年だ。アラリ監督は、映画の構想から製作の過程では、その自伝をまだ読んでいなかったとフランスのラジオインタビューで言っている。

意外なほど低予算の製作費

ウィキペディアによると、『ONODA』の製作費は470万~500万ユーロという。日本円だと約6億~6億5千万円ほどだ。
ゼロが一つ少ないのではないか?と疑うほど少ないお金で作られた映画ということになるが、本当だろうか。

お金だけで言えば、日本で作れない金額ではない。だが日本の大手だと、他に懸念する点があるのは間違いない。

実際には資金集めには苦労したようだが、資金以外の煩わしさを持たなくて済む外国人だからこそ、作ることができた一作だ。

客観的だからこを得られた評価

3時間近い長編映画だが、その長さを感じさせない。
小野田氏たちが見せる壮絶な生き様や、時に残酷な行為も、一歩引いた感情で見続けることができる。
それはやはりこの作品が、悲しみと賛美と感傷的な音楽で彩られている、日本人だけに向けられて作られた映画ではないからだ。

カンヌ映画祭でも内容、俳優の演技どちらも好評を得て、正しく評価されている。

影響を感じさせる作品群

映画『ONODA』が影響を受けたであろうかこの映画

とは言え、この映画にはどこか日本的なタッチがある。
薄い霧に包まれた緑深く奥行きのある風景と、それを捉える長回しのショットは溝口健二監督を思わせる。
生き死にの狭間で必死に暮らす人間の交流と逞しさは、黒澤明監督に顕著な描写だ。

フランスでは、他にもジョン・フォード監督『コレヒドール戦記』、モンテ・ヘルマン監督『断絶』、ジョン・ブアマン監督『脱出』、セルジオ・レオーネ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』などとの関連性を指摘している。

他の戦争映画との違い

戦争映画に限って言えば、いくつかの種類に分類できる。
一つは銃撃戦が繰り広げられ、戦車が仰々しく進行し、空爆機くアクション映画で『戦場にかける橋』や『プライベートライアン』などだ。

また、激しい戦火の中で生きる人物の内面に焦点を当てた戦争映画には、『地獄の黙示録』や『フルメタルジャケット』がある。

他には、『千羽つる』や『ビルマの竪琴』など、戦争の犠牲者との繋がりを反戦意図によって作られた映画もある。このような映画は、日本人にはとりわけ馴染みが深い。

しかし終戦から70年が経って現れたフランス映画『ONODA』は、このどの種類とも馴染まない性質がある。

二度目の発見という奇跡

映画『ONODA』の30年間の重み、小野田氏の再発見

生き延びる、奪う、任務を守る。
こんな端的な言葉に集約された30年の年月は、どんな重みをもっているのだろうか。

死亡したと思われていた小野田氏は、思わぬ形で発見された。
フィリピンを離れるためにヘリコプターに乗るかつての軍人が、眼下に広がる色深い森を感情なく見続ける様は、まさにその問いを観客に抱かせる。

その後長く忘れられていたその存在が、映画という形をもっていま再び現れた。
小野田氏は、二度忘れられ、二度発見されたのだ。

しかもその二度目が、氏とは何の縁もないフランス人によってなされたことが、最初の発見を超える奇跡とさえ言えるだろう。

この映画がおススメの人

『ONODA』は完全な創作でもなく、かと言ってドキュメンタリーでもない。
記録映画とも言えなくはないが、小野田氏をはじめとする登場人物たちは自らの意思をもって行動している。

何の縁もない外国人この映画を製作しようと思ったのか。
その関心の核となる部分を映像から探ろうとすることが、創作という行為に近づく道になるだろう。

戦争や孤独など表に見える部分だけで判断せずに、知的好奇心を広げたい人におススメしたい映画だ。

以下、この文で取り上げた関連映画

ジョンフォード
『コレヒドール戦記』

溝口健二
『山椒大夫』

黒澤明
『七人の侍』

モンテ・ヘルマン
『断絶』

ジョン・ブアマン
『脱出』

セルジオ・レオーネ
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』

スティーブン・スピルバーグ
『プライベート・ライアン』

フランシス・フォード・コッポラ
『地獄の黙示録』

スタンリー・キューブリック
『フルメタルジャケット』

神山征二郎
『千羽つる』

市川崑
『ビルマの竪琴』