映画『マトリックス レザレクションズ』復活は再生のはじまり

マトリックス4作目『マトリックスレザレクションズ』が本国アメリカに先駆けて日本で上映された。それを祝うかのように、日が代わる0時には先行上映もされたようだ。
その回には行けなかったが、先日深夜にレイトショーを見に行くことができた。ここでは鑑賞の第一印象を書いてみたい。
なお、物語を追うような解説はしていない。

年月以上に様変わりした男

映画『マトリックス・レザレクションズ』のネオは仙人のような顔をしている

18年という長い月日を経て再び目の前に現れたネオは、かつての清爽さに逞しさを備えた面立ちを失い、その年齢以上に老けた印象を抱かせるしか他はない。
長く伸びた髪は都会的とは言えず、無精ひげと相まって世捨て人のようであり、仙人のようでもある。

世界的なゲームデザイナーらしいが、そんな片鱗はどこにも見えず、そのうつろな目は過去のあの時から人生が止まったままであることを物語っている。

マトリックス第4作目は復活を意味するレザレクションズだが、英語をカタカナとして難なく取り入れてしまう日本人にしても、この単語はどこかしっくりこない感がつきまとう。
このしっくりこない感は、ネオも感じているのではないだろうかと思ってしまう。

そっと眠らせておいてくれ

彼の目を見ていると、寝ているところを叩き起こされて、「どうして邪魔するのか?」と不機嫌そうで仕方がない。なぜ今になって復活しなければならないのか?と。
このまま寝かせておいてほしい、目がそう言っている。

世間的には成功したが自身の中身は空っぽという、IT革命で金持ちを絵に描いたようなこの男は、これまた今風に言えば、バーンアウトという燃え尽き症候群で、鬱状態の真っ最中だ。

そんな男を、映画は無理矢理に過去の再生へと連れ戻す。
それはかつての自分を、失った能力を、そして恋人を取り戻すための、18年という時間の道を一歩一歩戻っていく、その過程が今回の映画と言えよう。

人物の背景に製作者の顔が見える

映画『マトリックス・レザレクションズ』の人物には、製作者達の顔が見える。

これまでの三作で姿を見せていたある者は消え、その姿が変わったりもした。肉体を失ったことで万能になったことは、時間を超越したとも言える。

主人公の復活と物語への強引な回帰を導くその存在は、この物語の外側を暗示している。
かつてのドル箱作品をもう一度つくって一儲けしようという映画制作会社やプロデューサーの姿に重ねられるようだ。

再生を意味するレザレクションは、こんな部分をも含んでいるのかもしれない。

復活は続きの始まり

映画『マトリックス・レザレクションズ』は、第五作、六作への序曲である。

この四作目が一作目の続きなのか、それとも三作目の続きなのかで議論する必要などさらさらない。
かつての愛を取り戻したことでは一作目の終わりを受け、自身の存在をかけた戦いでは前作をさらに大きくしている。
つまり今作はこれまでの総決算であって、同時に第五作目六作目へと続く序章という位置づけだ。

そして、かつてスターウォーズがそうであったように、マトリックスも時代と役割を引き継ぎ、今後さらなる戦いを繰り広げていくことだろう。
そこではキアヌ・リーブスは伝説となって、ハリソン・フォードのハンソロのように後世に語り継がれる存在になるはずだ。

様変わりはネオだけではない

だが、その様相を変えたのは主人公だけではない。
退廃的都市、夜、哲学的な問答、目覚め、成長、自己犠牲など、マトリックス一作目で見られたサイバーパンクの世界は、もうここにはない。

この点からも、マトリックスは一作目で終わった。
以降はゲーム的展開の映画へと変わる。おそらく次回作もこれをなぞることだろう。
映画好きではなく、アトラクション好きやこだわり派のオタクに受けていく道を選んだのだ。

ここぞというときにネオが見せる両掌をひらく防御の姿勢は、どこかドラゴンボールのカメハメハを思わせる。
キアヌリーブスは真剣なんだろうが、監督の趣味に付き合わされてしまっていて、滑稽にしか見えず残念で悲しい。

本当の主人公は誰か?

映画『マトリックス・レザレクションズ』の本当の主人公は誰なのか?

この点を同じ三部作を製作したクリストファー・ノーランと比較してみたい。
バットマンというヒーロー像に苦悩や葛藤という人間的側面を色濃く加えながら、常に関係性の中で描こうとしていたのがノーランである。

一方のウォシャウスキーは、ノーランと同じ姿勢で一作目を撮り始めたが、その途中からは人物を物語から外してしまった。
愛とか勇気といった倫理的な要素を製作者達が都合よく解釈し、登場人物を自分たちが考えたストーリーを体現するだけの存在に陥れてしまったのだ。観客の感情を掻き立てるように。

つまり、主人公とは画面の中のヒーローではなく、ゲームの主人公をコントローラーで動かしている遊び手に似た存在、そう、観客なのだ。

クリストファー・ノーランは作家であり続けたが、ウォシャウスキーは作家ではない。彼女は、大画面向けゲームのクリエイターと言う方がふさわしい。

あるメディア記者によれば、『マトリックス・レザレクションズ』は、ノーランの『テネット』と比較して、世界最速上映時点で12パーセント上回る興行収入らしい※。
大画面アトラクションゲームの強さは、こんなところにも表れている。

※Deadline Hollywood 2021年12月20日版