月ごとに観た映画の鑑賞録です。15日で前半と後半に分けています。
映画館、DVD、ネット配信のGYAOと、すべて混こぜです。
観る映画は監督で決めます。
評価は四段階で、
◎:愛した映画。絶対に映画館で観たいし、ネットでの再配信は必ず観る。
〇:機会があれば映画館でみたい。ネットの再配信があれば優先して観る
△:あまり面白味を感じなかった。積極的には次回は観ようとはしないかも
✕ :もう観返さない目印。しかし監督には関心があるから、今後、評価が変化するかも。
今回は2022年6月前半の観賞録です。
2022年6月前半の映画観賞録
タイトル | 監督 | 評価 | 一言 | 鑑賞日 |
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東京流れ者 | 鈴木清順 | ◎ | 大胆に省略された編集、セットと照明で魅せる視覚表現が、面白みのない物語を別次元の作品へと昇華させている。一つの頂点の作品であり、傑作。 | 2022/06/15 |
マッドマックス2 | ジョージ・ミラー | ◎ | 音楽は過剰。なくても迫力は変わらない。カメラアングルはいたって古典的 | 2022/06/14 |
TOKYO! | ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ | △ | なぜいま東京?短編三部作?バブル期の企画にも思える。 | 2022/06/12 |
刺青一代 | 鈴木清順 | ◎ | 高橋英樹の真っすぐな性格と熱い思いが、清順タッチと合っている。弟が死んだときから、一気に熱を帯びたように映像が力強くなる。 | 2022/06/11 |
散弾銃の男 | 鈴木清順 | ○ | 酒場のセットと主人公を取り囲む群衆の撮影は、古典西部劇『荒野の決闘』『シェーン』を思わせる | 2022/06/10 |
女は女である | ジャン=リュック・ゴダール | ◎ | 実験的、前衛は未完成であること。ここが魅力。終わり方が爽やかで、鑑賞感が良い | 2022/06/08 |
悪魔の沼 | トビー・フーパー | ○ | 2022/06/06 | |
夜汽車の女 | 田中登 | ◎ | 2022/06/04 | |
死の棘 | 小栗康平 | × | 2022/06/04 | |
ハッピーエンド | ミヒャエル・ハネケ | ◎ | 2022/06/03 | |
サムライ | ジャン=ピエール・メルヴィル | ◎ | 2022/06/02 | |
シルバー・サドル 新・復讐の用心棒 | ルチオ・フルチ | ○ | 2022/06/01 |
映画を考察する
観賞映画の感想を一言残していくことにした。記憶に残すにも有益だろうと思ったから。
今回は、好みに任せて旧作の映画を選んだ感じが強くなった。
映像による視覚表現の映画では、時間が重要な要素となる。つまりスクリーンの中に流れている時間と、我々観客つまり現実世界で流れている時間だ。
この二つを作品が意識させるか、また観客が意識するかが、作品に親しみを持つかどうかを決める重要な要素となる。
それはストーリー展開や派手なアクションなど、積極的に訴えてくる要素とは違い、どちらかと言えば生理的に受け付ける受け付けないという感覚的な部分が強い。
この感覚の部分をいかに言語として表せるかが、映画考察というものだろう。
人物の感情表現にばかり目が行き、物語では派手な展開と予想外の結末を期待する。ここに観客としての自分が、その作品について自ら考えた形跡はない。
映画の監督と同じ立場に自分を置き、監督が作品を構想し構築していったように自らもそうしていく思考が考察である。
お勧め映画
『サムライ』
何度観ても、口をつぐんだアランドロンや、薄暗いパリを走るシトロエンのキマッている感に惚れ惚れする。魅了されるとは、こういうことだなと。
口数の少ない男、その部屋の様子、夜の街など、すべてが手本だ。
『女は女である』
『勝手にしやがれ』、『気狂いピエロ』が有名なジャン=リュック・ゴダールの、この二本の間に監督した映画。
撮影現場のアパルトマンやカフェで、ふと思いついたアイデアを撮影していった感の気軽さに満ちている。人物の行動と感情の推移を真剣に追うばかりが映画ではないと教えてくれる。
ここでは台詞や人物の動きのみならず、音楽までもブチ切りにされて、全てが等しく映画を成立させる要素として扱われている。
一方、アンナ・カリーナは蝶のように軽やかに男たちのあいだを行き来し、男たちは振り回されるのを楽しんでいる。
彼らを観ていてなぜか心軽やかになるのは、人物の感情の起伏によってではなく、編集による映像のリズム感によって、これは遊びなんだと思わされるからだろう。
感動はしないが、観終ってすがすがしい気持ちになり、こんな軽やかな映画の創り方もあるんだなと教えてくれる。
『東京流れ者』
映画に様々な実験を持ち込んだゴダールがフランスにいれば、日本には鈴木清順がいる。
この両者を同時期に観賞できたのだから、配信というシステムは知識欲を充たし、映画を学ぶには有効なツールと言えるだろう。
ただ、テレビ画面の映像が、スクリーンのそれと全て同じではないことは予め知っておかなければいけない。
鈴木清順監督作を3本観たが、どれも主人公の持ち味を拡大したような映像の雰囲気を持っている。
二谷英明の柔らかさ、高橋英樹の真っすぐさ、渡哲也の都会的。一匹狼にも様々だ。
何でもない物語も清順監督の手にかかれば、ある種の魔法にかかったように作品が一変する。ここで紹介する『東京流れ者』はその典型的な一作だ。
タネがあると知りながらも手品を見るように、自分から鈴木清順の魔法にかかっていく。映画の楽しみ方の幅を広げる鑑賞と言えるだろう。
『マッドマックス2』
『マッドマックス4』を知っていると、前々作『マッドマックス2』がとても大人しい作品に見えてくる。
だがここに、世界中をアッと言わせたド級アクションの原点がある。
加えて、セットや小道具や衣装など、同時代の様々なジャンルの表現者に与えた影響は計り知れない。
世界的には映画製作未開の地であったオーストラリアから、突然に現われたことが衝撃だ。
ジョージ・ミラー監督は未来を創りだした。